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土屋圭市(つちやけいいち)の年収が気になる!愛車NSXを売却した理由も調査します!

画像引用元:DRIFT KING TELEVISION

今回ご紹介するのは、元といっても良いのかどうかドリフトキング土屋圭一さんです。

youtubeチャンネルも開設されているので、この際一気にレーシングドライバーシリーズ

いっちゃいますww

 

やはり気になるのが、レーシングドライバーの収入ですよねw。

ただ今回に関しては、youtubeの動画収入(推定)について公開しています。

あくまでも参考サイトなので、これだけ稼いでいるという確定情報ではないのでご了承願います。

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土屋圭市(つちやけいいち)の年収は?

ではさっそくですが、youtube動画再生で土屋圭一(つちやけいいち)の収入は、

tuber-town.comによると以下の金額なっているようですよ♪

累計収入 120万1192円
推定年収 10万3125円
再生回数 1000万9935回
チャンネル登録者数 13万5000人
動画投稿数 81本
1動画あたりの再生回数 12万3579回
チャンネル運用期間 11年8ヶ月
2009年09月01日~


思ってたより少ない?金額だと思うのですが、

運営期間のわりに・・・となるのは仕方ないですよね。
ちょっと内容が万人受けするものではないので仕方がありません。

 

では早速コチラをごらん頂こう♪

泣く子も黙るは言い過ぎかもしれないけど、

やっぱりこ土屋圭一って凄いよねw

 

ちなみにドライバーとして最も収入の高かった時期は、億超えだったようですよ♪

国内のレースとル・マン、S耐も乗って時だそうです♪

ル・マン24時間耐久レースの時の走りは、ホントに痺れましたもんね!!

「夜は速いんだ!」みたいなw

理由は「夜に峠を走ってたから・・・」ってエピソードを披露されてましたw

さすがドリキン土屋圭市です。

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土屋圭市(つちやけいいち)の経歴は?

 

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土屋圭市(つちやけいいち)のプロフィールです♪

 

 名前:  土屋圭一(つちやけいいち)

生年月日:1956年1月30日(65歳)

 出身:長野県 東御市

身長: 167cm

体重:58kg

血液型:B型

職業:レーシングドライバー 実業家

  学歴:埴生高等学校卒業

土屋圭一(つちやけいいち)の経歴です♪

レーシングドライバーの高橋国光にあこがれ、あこがれが高じて日産のスカイライン2000GTを購入。夜な夜な峠で「走り屋」として腕を磨き続ける。レースデビューは1977年に富士フレッシュマンレースでレースデビュー。年齢から逆算すると21歳頃になります。日産・サニー、トヨタ・スターレットなど乗り継ぐ。ツーリングカーと呼ばれる箱車のレースを中心に腕を磨く事に。

1984年はヨコハマタタイヤ専属ドライバーとして、ADVANカラーのレースカー、トヨタスプリンター・スプリンタートレノを駆り

開幕6連勝を機に一気にその名が広まる事に。2002年頃までヨコハマの開発ドライバーとして活動。

 

全日本ツーリングカー選手権には1985年の初年度より参戦。

トヨタ・カローラ・レビン、ホンダ・シビック、BMW、フォード・シエラなどをトップブループのマシンで戦う事に。そして、

この車でなければ勝てないと言われた、日産・スカイラインGT-Rがプライベート参戦チームに供給されるようになるとタイサンから参戦。グループAに表彰台の常連となる。

いまでこそドリキンとの異名をとる土屋圭一。実はフォーミュラカーにも参戦していたことがあります。1989年~1992年自らのドラビングスキル向上のため全日本F3選手権に参戦。ただツーリングカーとは違うマシンの荷重移動がうまくいかず、ましてや代名詞であるドリフトなどもっての外。ドライビングスタイルのあまりの違いに苦しまれたようで、目だった成績を残すことができず。参戦中の表彰台に乗ったは1991年6月の筑波戦の2位。そして1990年インターF3リーグで当時のミカ・ハッキネン(後のF1ワールドチャンピオン)、ミハエル・シューマッハ(後のF-1ワールドチャンピオン)の走りを目の当たりにした際、「どんなに努力してもフォーミュラではかなわない」と思わしめたほど。

1994年から始まるJGTC、JTCCに参戦。ADVANカラーのマシンでJGTCはポルシェ・964、ポルシェ993、ダッジ・バイパー、トヨタ・スープラなどを駆る。

一方JTCCではホンダ・シビックフェリオ、トヨタ・チェイサーなどのマシンで参戦。引退車両は、ARTA NSX。

 

ル・マンの参戦は1994年から。
最も土屋圭市の走りが光った1999年の夜間走行が、記憶に鮮明に残っている。

当時のドライバーラインナップとしては、最高のメンバーだったと思う。

成績の総合に2位でクラス優勝。

レースのナイトセッションで土屋圭市担当パート時の速さが際立っており、

見ながら鳥肌がたったものだ。

夜間、雨天時の悪条件下で磨いた峠での走りの経験が、

世界の大舞台で遺憾なく発揮されるという意味不明な現象がおきている。

この時に筆者は、「人生において無駄な経験などは無いと悟った」

ちなみに土屋圭市は、このナイトセッションでトップタイムを叩き出している。

冒頭の「夜が速い発言」はここからきています。

 

1996年にはアメリカのNASCARにも参戦。残念ながら成績は芳しくなく、最高位は11位。

2000年にJGTCのチームはARTAに。2001年はオーナードライバー鈴木亜久里(元スーパーアグリF1代表)の引退に伴い、金石勝智にパートナー変更になるが、かわらず1勝をあげランキング2位を獲得。

その後、成績不振や箱車でありながらマシンのフォーミュラー化が進み、体力的な問題もあり2003年に引退。

が、2017年にいきなり現役復帰w。スーパー耐久に2戦のみ復帰。

 

引退後は、後進の育成をはじめ、「ドリフトで飯を食えるように」との想いからD1(全日本プロドリフト選手権)を設立。

その後、運営方法の違いからD1から離脱。あたらしく2011年2月に新しく「株式会社ドリフトエンタープライズ」を設立。

D1の対抗カテゴリーである「ドリフトマッスル」を立ち上げる。現名称「ドリフトキングダム」(2018年より)

土屋圭市(つちやけいいち)の愛車NSXを売却した理由

こんなyoutubeチャンネルあるんかい!!って思えるほど、フレンドリーな雰囲気でてます。

日本のトップドライバーとこんなに近い距離感で接する事ができるってやばい。

しかもお酒のみながらですw NSXを売却した理由は、6:45あたりから始まります。




さいごに

いかかでしたでしょうか?

土屋圭一さんの面白さが伝わったのではないでしょうか?

レーシングドライバーとしての能力を生かすには最高の環境を切り開かれたように思います。

今はこんなやさしい感じでやってますけどね、車の事になるとマジで凄い人なんですよ。

沢すみれさんがアシスタントで普通に出てるのも凄いw

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別の動画でホットバージョンがありますが、

こちらは昔ながらのバチバチのチューニングカーにプロが乗る!!

 

っていう、はちゃめちゃ企画です。

車の走りを極めたい人がみるマニアック動画ですw

ほかにもたくさん面白い動画があるので、是非とも見ていただきたいですね。

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