今回ご紹介するのは、元ビッグモーター幹部経験者であり、現在は四国を中心に8店舗の中古車販売店を運営しているBUDDICA(バディカ)の代表取締役カリスマ社長であり、中古車販売業界に風雲児と言っても過言ではない中野優作さんをフィーチャーしたいと思います。
半年前から構想は練っていましたが、ズルズルと今回の事に発展した時点で紹介することになったのは、少し残念です。
中野優作(バディカ)さんのyoutubeでも中古車を買う場合の秘訣や営業マンとしての心得など内容としては非常に有益なものが多いのも彼の動画の一つの特徴でもあります。
一つ見てしまうと次々と見たくなる内容でもあり、これが彼のトップオブトップと言わせしめる話術と間合いなのだと実感することは間違いありません。
見ためのビジュアルも申し分なく十分に人を引き付けるカリスマ性も十分。
それではさっそく紹介に移っていきましょう♪
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中野優作(バディカ)の年齢や出身地などのプロフィール
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まず、中野さんのプロフィールを簡単にご紹介しましょう。
中野さんは1982年3月生まれで、現在41歳です。
出身地は香川県で、高校は地元の進学校に通っていましたが、家庭の事情で中退しています。
その後、建設会社で現場監督として働いていましたが、26歳のときにビッグモーターに入社しました。
趣味は筋トレで、YoutubeやTwitterなどでSNS活動も積極的に行っています。
ご家族についてはあまり公表されていませんが、奥さんと息子さんがいることはTwitterで明かされています。
さて、中野さんがビッグモーターに入社したのは2008年のことです。当時のビッグモーターは、中古車販売業界では最大手であり、全国に約300店舗を展開していました。
しかし、その規模ゆえに組織が硬直化しており、新人が活躍する余地は少なかったと言われています。
そんな中で、中野さんはどのようにしてトップセールスマンになったのでしょうか。
どのようにして中野さんはトップセールスマンから社長になったのでしょうか。その秘訣を、彼のビッグモーターでの初日の出来事を通じてお伝えします。
次の見出しで詳しく説明します。
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中野優作(バディカ)の経歴は?
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実は、中野優作さんはビッグモーターでの初日に衝撃的な出来事を経験しました。
それは、彼が配属された店舗の店長から「お前は一生売れない」と言われたことです。
その理由は、中野優作さんが高校中退であることや、建設会社から転職したことなどが不利だと判断されたからだそうです。
ところが、中野優作さんは、初日で1台売ってしまうんですねw
とはいえ、初日でいきなり1台売ってしまったのは新人だとしてもラッキーでもあり、やはり持っているとしか思えないですよね。
ただ前述の言葉に中野さんは屈することなく、「自分は売れる」という自信を持って営業活動に取り組みました。
売れている先輩の商談をレコーダー録音し、先輩のお客さんとの間合いや、声のトーンなどとりあえず研究しまくったとのこと。
野球選手が打席に立ってバットを振るのと同じことですよね。
愚直に『質は量からしか生まれない』の言葉を実践されていたんです。
そして、やがてその努力が実り中野さんは、驚異的な営業成績を叩き出すことに。
なんと入社9カ月目には販売台数日本一になり、1年半目には店長に就任しました。
その後も営業本部長や取締役などを歴任し、すべて当時最年少で達成しました。
中野さんがどのようにしてそこまで成長したかというと、「常識を疑う」という姿勢が大きかったそうです。
例えば、中古車販売業界では、新車の発売日には営業活動を控えるのが常識でしたが、中野さんは逆にその日に積極的にアプローチしました。
その結果、新車を買う予定だったお客さんを中古車に誘導することに成功。
中古車販売業界では、お客さんには自分の店舗の車を見せるのが常識でしたが、中野さんは他店舗の車も見せることができるようにしました。
その結果、お客さんのニーズに合った車を提供することができるようになり結果的にwinwinに。
中古車販売業界では、お客さんには値引き交渉をさせないのが常識でしたが、中野さんは逆に値引き交渉を歓迎しました。
その結果、お客さんとの信頼関係を築くことができるようになり良い結果を生む形となります。
このように、中野さんは常識にとらわれずに自分なりの営業スタイルを確立。
そして、それがお客さんからの評判やリピート率を高めることにつながり、また、中野優作さん自身も自分の経験やノウハウを後輩や同僚にも惜しみなく伝えることで、チームワークや組織力も向上させました。
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中野優作の出身高校等の学歴
中野優作さんの高校は、残念ながら公表されていませんでした。
ですが、中野優作さんは香川県出身なので県内の進学校に通われていたことがわかっています。
中野優作さん自身高校に進学したものの、家庭の事情により高校を中退されています。
あくまでも予想として楽しむのは自由。
以下は香川県内の高校になりますので、その中の1校が中野優作さんが通っていた高校ということです。
- 香川県立小豆島中央高等学校(8P)(PDF:928KB)
- 香川県立三本松高等学校(10P)(PDF:1,490KB)
- 香川県立石田高等学校(12P)(PDF:1,384KB)
- 香川県立志度高等学校(14P)(PDF:1,409KB)
- 香川県立津田高等学校(16P)(PDF:1,440KB)
- 香川県立三木高等学校(18P)(PDF:1,751KB)
- 香川県立高松高等学校(20P)(PDF:1,287KB)
- 香川県立高松工芸高等学校(22P)(PDF:1,409KB)
- 香川県立高松商業高等学校(24P)(PDF:1,336KB)
- 香川県立高松東高等学校(26P)(PDF:1,175KB)
- 香川県立高松南高等学校(28P)(PDF:1,343KB)
- 香川県立高松西高等学校(30P)(PDF:1,374KB)
- 香川県立高松北高等学校(32P)(PDF:1,323KB)
- 香川県立香川中央高等学校(34P)(PDF:885KB)
- 香川県立高松桜井高等学校(36P)(PDF:1,134KB)
- 香川県立農業経営高等学校(38P)(PDF:1,225KB)
- 香川県立坂出商業高等学校(40P)(PDF:1,466KB)
- 香川県立坂出高等学校(42P)(PDF:886KB)
- 香川県立坂出工業高等学校(44P)(PDF:975KB)
- 香川県立丸亀高等学校(46P)(PDF:1,316KB)
- 香川県立飯山高等学校(48P)(PDF:1,363KB)
- 香川県立丸亀城西高等学校(50P)(PDF:1,261KB)
- 香川県立善通寺第一高等学校(52P)(PDF:1,268KB)
- 香川県立琴平高等学校(54P)(PDF:990KB)
- 香川県立多度津高等学校(56P)(PDF:1,750KB)
- 香川県立笠田高等学校(58P)(PDF:1,146KB)
- 香川県立高瀬高等学校(60P)(PDF:1,237KB)
- 香川県立観音寺第一高等学校(62P)(PDF:1,427KB)
- 香川県立観音寺総合高等学校(64P)(PDF:907KB)
- 高松第一高等学校(66P)(PDF:1,168KB)
- 定時制・通信制課程について(68P)(PDF:1,868KB)
- 特別支援学校高等部(72P)(PDF:842KB)
私立高等学校編
- 藤井学園寒川高等学校(76P)(PDF:1,226KB)
- 高松中央高等学校(78P)(PDF:845KB)
- 英明高等学校(80P)(PDF:830KB)
- 大手前高松高等学校(82P)(PDF:995KB)
- 香川誠陵高等学校(84P)(PDF:1,194KB)
- 坂出第一高等学校(86P)(PDF:1,003KB)
- 大手前丸亀高等学校(88P)(PDF:1,020KB)
- 香川県藤井高等学校(90P)(PDF:962KB)
- 尽誠学園高等学校(92P)(PDF:1,215KB)
- 四国学院大学 香川西高等学校(94P)(PDF:1,132KB)
- 穴吹学園高等学校(96P)(PDF:1,795KB)
- 村上学園高等学校(98P)(PDF:1,451KB)
- RITA学園高等学校(100P)(PDF:1,642KB)
- 令和4年度香川県下私立高等学校募集要項(102P)(PDF:944KB)
残念ながら中野優作さんは高校を中退された後、15歳から建設業で働かれています。
その後に中古自動車業界に入り現在の活躍につながるのは、すでにご存じの通り。
27年後の現在、まさかご自身がメディアで紹介される日が来るとは、夢にも思われなかったのではないでしょうか。
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最後に
中野優作さんのビッグモーターでの初日の出来事を通じて見た彼のキャリアの始まりです。
彼はその後もビッグモーターで活躍しましたが、2017年に独立してバディカを設立しました。
その理由やバディカでの活動については、あらたな記事で紹介したいと思います。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
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